2013年2月28日木曜日

野の暮らしはこんなことをしています

 野の暮らしは、年齢やしょうがいの有無、学校に行っているかどうかに関わらず、
苦しいとき安心して悩んでいられる場、暮らしを基盤とし、一緒に食事をつくり、食べ、遊び、働き、生活の中から確かなつながりと学びを得られる場、そんな居場所づくりのために活動しています。
2009年に、「コミュニティガーデンみんな畑」と「野の暮らしおうち(通称畑の家)」の運営を始めました。

  コミュニティガーデンみんな畑
国立市谷保の、住宅が建ち並ぶ中に残されていた農地が私たちの畑です。
正確には宅地なのですが、家が建てられないので農地として使われていたわけです。
数年間耕作されていなかったその畑を、2009年10月より借り受け、投棄されたゴミの処理、開墾をおこない、11月末には4種類の小麦をまくまでになりました。

個人毎の区切りをつくらず、恊働で畑作業を行っています。
今年で四度目の春を迎えました。
草ぼうぼうだった畑。でも草はなんてことなかった…な。
笹の根とヤブカラシの根を、いわゆる「根こそぎ」にしようとしているところ。
畑みいこさんと名付けたご近所ネコさん。本名クーちゃん。
開墾を始めた時からずっと私たちにつきあってくれています。
3年前のみいこさん。若い…… かわいい…… 今もかわいいですけど。

2013年2月27日水曜日

考えていたこと

弾丸ツアー報告がまだ残ってはいるのですが。

ここのところ受賞や取材の関係で、東京新聞やインターFM、そして「散歩の達人」に掲載されています。
同じ質問がされるわけではないのですが、自分がなぜこの地域で居場所活動をしようと考えたかを再確認することもあり、これまでのこと、これからのことを考え続けています。
だからこそ、熊谷へも出かけましたし、自分の志向がやはり「農商工福祉をつなぐこと」にあるのだなぁ、と改めて思ってもいます。

書類をつくるためにPCに保存している書類を探していたら、こんな文章に出くわしました。
4年前の私の文章です。
どこかに掲載されたわけではありません。
パンフレットをつくるための草稿として書いたものだったと記憶しています。

ブログに載せて、自分への戒めにしようと思います。






谷保は国立市の「もともと」をつくってきた地域です。
ハケの上には国分寺崖線に続く雑木林と桑畑が広がり、坂下には田んぼや梨畑がひらかれた、水と緑豊かな自然に恵まれた地域でした。
その雑木林が切り開かれ、大規模な宅地開発が行われました。
中央線の国分寺と立川の間に駅がつくられ、それぞれの一字をとって「国立」という名がつくられ、直線的なまちがつくられていったのでした。
文教都市「国立」。
大学通りはそのシンボルとなりました。
その一方で、谷保は元々の呼び名「やぼ」を「やほ」と変えました。
まちづくりのビジョンもないまま家々が建ち並び、谷保のまちは姿を変えていきました。
無秩序に開発されたまちは、一方で細い路地や歴史的な遺構や屋敷林や農地などがあり、祭りのための笛や太鼓の音が響き、季節ごとの風習がかろうじて残された複層的な表情を持つまちでもあるのです。
それは谷保に住む人たちがつくってきた歴史であり地域の力ともいえるものです。

それでも。
個人の努力だけでは抗いがたい流れに、様々な人たちの恊働とシェアによって問題を解決しようという試みを、この谷保から発信しようとしています。
わずかに残された農地と細い道でつながった家は、持続可能な農業や暮らしを提案する「場」となり、人と人とがつながる「拠点」となるにふさわしい場所です。
「野暮」だと思い込んでいたことにこそ魅力があふれていたことを再認識し、年齢や職業や様々な違いを持つ人たちが集まり、その違いを認めながらつくりだそうとしている価値は、不安に彩られたこの時代の中で微かでも希望の種になることでしょう。




中途半端な終わり方ですね。
私はこの4年何をしてきたか。
そして何をしていくのか。
いつもいつも問われるなぁ。

2013年2月26日火曜日

弾丸ツアー さらに続きで


弾丸ツアー報告も3回目。
たった一日のことなのに未だたくさんのことを書かなきゃ、という感じ。

「おにっこハウス」で食事をした後、味噌をつくっているところを見学し、その後平飼いの養鶏場にやってきた。
 
上の写真は成鳥、下は雛。
風も光も入る鶏舎で 育っていた。
美味しいわけだよ、と感じる前に、こんなに広い場所があっていいなぁ、と思ってしまう浅はかさ。
谷保には天満宮に野良?鶏がいるけれど、農家さんたちは鶏の声や匂いなどで今は飼っているひとがほとんどいない。

人家から少し離れた場所で、平飼いできる環境がある。
そしてそれを活かして事業へつなげている。
で、いいなぁ、と思ってしまった次第。


そしてその後は、ふれあい牧場へ。







またまた訂正です、ごめんなさい!

前回書いた「弾丸ツアー 熊谷編」の文章を訂正させてください。

そして、この「おにの家」を運営されているのが、池田さんのご両親なのだ。
の文章を以下のように訂正します。

おにっこハウスは、NPO法人 おにの家が運営されている。

度々の訂正ですみません。

2013年2月21日木曜日

弾丸ツアー おにっこハウス

さて。
小川町から昼食を食べるために熊谷にある『おにっこハウス』へ。
小川町の案内をしてくださったオブチさんもご一緒に。
実は、ここが来たかったところ。

「おにっこハウス」は、地域福祉活動グループ「おにの家」が運営している喫茶・直売所。
「田舎のカフェ おにっこハウス」。






ハンディのある人もない人も、「一緒に働ける仕事場をつくろう」「気軽に遊びにこられる所をつくろう」と、1987年に小さなお味噌屋さんをつくったところから始まったとのこと。
その後、平飼いの自然養鶏法による「地卵」づくりも始められたとのこと。

土曜日だったからか満席。
女性が多かったけれど、家族連れもいて、食事を楽しんでいらした。
食べたのは日替わりランチ。それに地卵をつけていただいた。
ご飯は熊谷産特別栽培米、野菜も地元野菜。味噌は当然自主製品。もちろん卵も。
それにご飯とお味噌汁はおかわり自由。
これで840円。(土曜価格、平日は730円・卵なしの値段)

他にも、おにっこ地鶏のハンバーグや親子丼、カレー、パンプレートなど。
デザートもプリン、ケーキなど。
味噌、麹、卵、鶏をつかった製品もいろいろあって、なるほどね〜、とうなってしまう。
味噌の大豆も地元産だし。

そして直売しているものは、ご近所の農家さんのお野菜やお豆腐、東毛酪農の乳製品、施設や作業所のてづくり製品と、一貫している。

そして、この「おにの家」を運営されているのが、池田さんのご両親なのだ。
話しには聞いていたけれど、活動から働く場をつくり、それを少しずつ拡げ、定着させていくって、どれだけ大変か想像に難くない。

美味しく食べて、たくさんしゃべって、満足したところで。
さて、次はどこ〜?

ごめんなさい! 訂正します

前回書いた、「弾丸ツアー」の文章について訂正します。

小川町で紹介していただいた オブチカズオさんのことを書いた部分の訂正をします。
以下オブチさんからいただいた文章をそのまま載せますね。

一点目は、私はタイで学校を作っていません。
村に学校が無くて学校に通えない子供たちを預かって、学校に通えるようにしている「子供の寮」を見学したことがあるだけです。(そういう寮の運営をしたいという夢を持っていたことはあります。)
もう一点は、ベリカフェには私は関わっていません。
「べじたべり」が、当初は「つばさ・游」のもとでベリカフェの店の前で営業していたので、その話と混同したのだと思います。

ちゃんと話しを聞いていなかったのだなぁ、と反省。

オブチさん、ごめんなさい!

2013年2月19日火曜日

弾丸ツアー

2月16日土曜日の朝7:30、家の前に迎えの車。
運転手は池田、助手席はすがい。
『隣る人』実行委員二人。

池田さんのお母さんプロデュースによる「有機農業と福祉の可能性ツアー」。
あっちに行き、こっちに行き、それからあそこに行って。
方向感覚が優れていると自負している私も、一体どこ(行政区)にいるのか皆目検討がつかない有様だったけれど、乗ってれば着く、という有難いシステム。


で。最初に行ったのは埼玉県小川町。
 たべる幸せ野菜 ImLab のオブチカズオさんを紹介していただいた。

タイの少数民族や国境近くの難民のこどもたちのために学校をつくったり、長野で不登校のこどもたちとの共同生活をされ、その後小川町の金子さん(霜里農場)のところで研修を受け、新規就農されたという方。
お仲間と開いている直売場を訪ねた。

べじたべり。Organic Market。
野菜の種類は時期が時期だけにあまり無かったけれど、お菓子、麺類、竹の食器など、参加している人たちの得意なことを持ち寄った直売所だった。
新規就農した人にとって販売は課題。
ここに集まっている人たちは、直売するということで緩やかにつながっているそうで、他にも直売しているところがあるとか。
この日は風が強くて、芯から冷える日だったので大変だったと思うけれど、定例の直売は休むわけにはいかないよね。









                                         

さて次は、小川町の朝市。
小川町には何度か来ているけれど朝市は初めて。
朝の9時半に演歌が聞こえていた。
 商店街主催の朝市だそうで、霜里農場も出店している。
ごく普通のものから、かなりこだわったものまで、いろいろなものが並んでいた。

演歌が流れているかと思えば、なにやら不思議な音楽が聞こえて来たり、どうやら音楽のジャンルには一切のこだわりがないみたい。

演奏する人、それを聞く人。
並べられた椅子に腰掛けて、ゆるやかな時間が過ぎているようだった。


この近くには、霜里農場と市民の協働による「べりカフェ つばさ・游」がある。
日替わりシェフのカフェ。
以前来た時に昼食を食べたのだが、さすがにこの時間には開いていない。
オブチさんも関わっているとのこと。
美味しかった思い出が。
ざんね〜ん。







さて次は、オブチさんが研修された霜里農場。
小川町下里地区で有機農業を始められた金子さん。
地区全体が有機農業に取組んでいるその中心的な存在。
この家の2階が研修生が住まうところ。
薪ボイラーで床暖房とお風呂がまかなわれているそうで、ボイラー室もそれなりの広さ。
屋根には太陽光発電。
耕作機械や金子さんの車は、天ぷら油の廃油を遠心分離機にかけたもので動き、作業場のストーブは天ぷら油の廃油をこし器を通して使うというもの。
天かすみたいなのがこし器に残っているのが面白かった。
2次燃焼までするから煙がでないとのことで、煙突が外に出ていないのにも驚き。
排泄物からはメタンガス。
自然エネルギーを使うことが徹底されていた。


場内には、牛、鶏、合鴨も。
向こうに見えるのは平飼いの鶏。
手前は、役目が終わった合鴨。
鴨肉として食されるとか。

田植えの時期になると合鴨のひよこがやってくるらしい。


フェンスの向こうに見える人影は、就農準備校の人たち。金子さんが指導していた。

下里地区は、地区全体で、米・麦・大豆を区割りして、まわしてつくっている。
収穫した大豆は、都幾川にある「とうふ工房わたなべ」さんが全量買い取り。
安定した買い取り先があることも、地区全体が有機農業に取組んでいる誘因になっている。

ここで研修し、就農したオブチさん。
畑は、高齢化等もあり借りることはできるけれど、農家を借りることができない、とおっしゃっていた。
畑はあっても、はざかけする場所や、雨に濡れない作業場や保管場所がなければ、とっても大変なことになる。農家のつくりは必要から生まれたもの。
私たちも経験してきたからわかるわ〜。


というところで、午前の部、終了。

2013年2月18日月曜日

TOKYOへ行ってきた

東京に住みたい、と数年前娘が言っていた。
ここだって東京なんだけど、と私。
おかあさん、ここは多摩地域。都下ですから。
じゃあさ、都内だけが東京だって思ってる訳?

なんてつまんない会話をしてたんだろ。

 TOKYO EARTH WORKERS COLLECTION 受賞関連で、インターFMの番組に出ることになって、収録に出かけた。
MCは、井手迫義和さん。環境ナビゲーターとして活躍されているとのこと。
2月3日の司会をされていた。

5分間番組の中で2分間のコーナーに出る、ということで3つぐらいの質問に応え、それが編集されるらしい。

 あっと言う間に終わったのだけれど、結構面白い体験だった。

井手迫さんもデレクターも当たり前に靴を脱いでスタジオ入り。

土足禁止だそうな。
土?
足音?
何が禁止されていることなんだろう。

写っているのはスタジオの中のディレクターがいるところ。
その奥に、話すところがある。

いやあ、こんな風になっているんですね。

そして、守衛さんに挨拶をして天王洲スタジオを後にした。


 スタジオの横には川。運河かもしれない。
水門があり、引き潮のようだった。
雨が降り出す中、水鳥が浮かんでいた。

油まじりの潮の匂い。
長崎からはほど遠く、それでも懐かしい潮の匂いだった。

さて放送ですが。
放送局 interFM(76.1MHZ)
番組名 TOKYO EARTH WORKERS collection 2013  
放送日時 2月23日(土)13:53-13:58

どんな話しになったか。
良かったら聞いてください。



2013年2月15日金曜日

なるほど、ね

畑の家にきているIくんとRさんが、落書き?大会。
最初は地図を書いていたんだけれど、何故かそこからあれこれ描きだして…。
ONE PIECEに出てきそうなキャラは?というお題で描いたものを撮らせてもらった。
おもしろ〜い、なるほどね〜!

2013年2月13日水曜日

農園祭日程変更!

以前お伝えしていた農園祭の日程が変更になりました。
申し訳ありません。

そして、ようやく農園の名前が決まりました。

「農家+市民+国立市による新しい農園『くにたち はたけんぼ』」。
ここまでが名前です。普段は、はたけんぼ と呼んでください。
畑と田んぼがある農園だから、はたけんぼ。
ダジャレと笑うなかれ。
ポータルサイトは『あぐりっぽ』(アグリカルチャー+ポータルサイト)だし。
呼びやすい名前を考えたつもりなのです。

はたけんぼ農園祭は 3月30日(土)10時〜  (予備日 31日(日))
 田んぼづくり、ジャガ芋植え、耕作機や道具の体験があり、振る舞い餅つきもあります。
午後からは、谷保の農家さんと自然を知るツアーを予定しています。



参加しようと考えていらっしゃった方たち、ごめんなさい〜!
日程は変わりましたが、是非遊びにきてください。

詳細はフライヤー作成後に。

2013年2月12日火曜日

みんな、めんどくさい人じゃん

畑の家の庭に咲く冬咲きクレマチス。
寒い寒いこの時期に花を咲かせている。

「畑の家」を始めてから3年が過ぎた。
最近は、いろんな相談が寄せられるようになってきた。
実際に来る人もいれば、まだまだ顔を出せない人もいる。
でも、この「畑の家」という不思議な空間が必要とされている現実があるのだ。
学校でも家庭でもなく、ましてやフリースクールでもない。
そんな「畑の家」。
働いていても、人と話をしているという実感があるのはここだけ、という人もいる。
ここで初めてトランプをした人もいる。

そんな「畑の家」のこれからのことを数人のメンバーに相談した。
利用するという立場ではなく、支える側に立ち位置を変えてみるというのはどうだろう?

責任は負いたくない。
義務感は嫌だ。

そうだよね。
でも私は知っている。
なんだかんだ言いながら、それでも「その人」が現れたら、話しを聞き、話しをし、優しく対応することを。

苦しさを抱えながら生きてきた人。
当時者性というべきか。
静かに深く共感する、その感じが、相手を素にさせてしまうのだろうと思う。

だって。
めんどくさい人が現れたらどうするんですか?
と言うメンバーに、
大丈夫だよ〜。みんなめんどくさい人じゃん。
と笑って言い放つ。
私が口を挟まなくてもそんな会話になっちゃうんだもん。

「畑の家」以外に、働く場はあるのだろうと思っていた。
ここに通う人たちの力をここで仕事にすれば良いのだ。

学校に行かない、という一見常識から外れたような人生が、だからこそ大切な関係を生みだしていく。






2013年2月10日日曜日

ご、ごめんなさい……

金曜日。
みんな畑はお休みモードだけど、Wさんと一緒に納屋の片付けをした。
中にあるものを全部出して、取り出し易いようにと片付けていたら。

ヤモリ様が。
それも食べるものがないらしくやせ細ったヤモリ様が。
あ〜ん、すみましぇーん。
慌てて納屋の隅に戻した。

何故か、片方が赤目になっていた。

大丈夫かなぁ。


自分を育てる

先週火曜日。
長男が、「風邪だと思います。仕事休みます。」と鼻をぐしゅぐしゅしながら言った。
長男は、多摩市にある あしたや恊働企画 という事業所で働いている。
電話で欠勤の連絡をし、私は自分の仕事へでかけた。
そして、午後2時過ぎ帰宅すると、「病院へ行ってきました」とのこと。

え〜〜〜〜〜ッ!?
しこたま驚いた。

「二時間も待ちました。待ち時間が長過ぎます。」
「そうかぁ、風邪のシーズンだもんね。まさかインフルエンザじゃないよね?」
「先生に話しました。インフルエンザではなかった。熱もありませんでした。」

と、あれやこれやのやりとりをしてわかったことは。

一人で病院へ行き、診察の受付をし、ひたすら待って、先生に病状を話し、検査をし、お金を払い、処方箋を持って、(病院の近くの薬局へは行かず)駅のロータリーにある薬局へ出かけ、帰宅し、昼食を食べ、薬を飲んで寝ていたら、おかあさんが帰って来て起こされた、ということだった。

こんなのあたりまえじゃん、と言われることかも。
でも私は本当に驚いたし、嬉しかった。

ぜーーーーーーーーーんぶ、ひとりでやったのだ。
そして、本当に彼らしいのは、病院へ行く前にちゃっかり、以前通っていた「くじら工房」に顔を出し、お気に入りの女性に声をかけ、それからおもむろに病院へ行ったということだ。

なんてヤツだ。
しかも熱がないだと?
確かに鼻水は出てるかもしれないけど元気じゃん。

そんなことを話す母に、長男は「明日は雪ですから、木曜日から復帰します。」だと。

親が想像する以上に、こどもは自分で自分を育てているんだ。

追記
嬉しくて関係各位に報告したさ。
本当にいろんな人たちのお陰で育っている、という実感が溢れてきた。
そして、みんな畑に参加している人(くじら工房のボランティアスタッフで長男と顔見知り)と病院で遭遇したこともわかった。
でも二人とも挨拶しただけで話さなかったんだって。
まったく!どちらも人見知りでシャイでいらっしゃるからなぁ。
話しかけてよ〜、と(別々に)言ったら、二人とも何ともいえない笑顔だった。

みんなみんなありがとう。











2013年2月7日木曜日

工事がすすんでいた

今日は木曜日。
何となく休みの日にしている。
予定が変更になり無くなったのを良いことに、ちょっと自転車で散歩。
とはいえ、久しぶりに城山南に行ってこよう、と思ってしまった。
つくずく貧乏性。

行ってみたら、通行禁止エリアがあった。
迂回しながら古民家方向へ自転車を走らせた。

道路ができていた。
そして電信柱がにょきにょき。

想像していたさ。
こんな風景になるって。
だから、どうにかしたかった。
 用水は開渠のままにして欲しかったし、小堀はなくして欲しくはなかった。
6mの道路も要らないと思っていた。
電信柱も地中化して欲しかった。
風景を大切にする区画整理をして欲しかった。
頑張ってみたけど結局こうなった。
今でも胸が痛い。
古民家の南側に通路。作業用の軽トラが入れるようにとのことらしい。
でも。
まちづくりは終わっていない。

暗渠にされた用水の管理に素人が手を出すことは難しいだろう。
人の手から離れ、関心がなくなった後の暗渠の用水はどんな姿になるのだろう。
…想像がつく。
池の浚渫(しゅんせつ)作業中?

まちづくりは終わっていない。
城山南は、里山づくりの地域になる。

山懐に抱かれた地域からすれば、笑われてしまうかもしれない薄さの里山かもしれない。
それでも、城山南に風が吹き始めた。

公園の池が復活する。
池は湧水からの水で満たされるはず。
池に流れる湧水。石の上の植物は外来種。
ヤクルトの北側の水路に大繁殖している。
 諦めかけていたことが、数年後にこんな形で戻ってきた。

まちづくりは終わってはいないのだ。



ここも湧水。池へ向かう水路より用水に水が流れている。
工事をして池へ流すらしい。
ここにも特定外来植物が繁茂している。





2013年2月6日水曜日

ロケットストーブ設置したものの…

昨年12月15日に開いた「ロケットストーブワークショップ」で
つくったロケットストーブは、やぼろじやみんな畑での餅つきの時に、すごーーーく活躍した。
元々は、畑の家に設置したいなあ、ということで始めたので、
本来の目的である室内設置を試みて…。
レンガを敷き、壁側には耐火レンガを並べ。
この煙突をもっと伸ばして外に排気できるようにして…。

頼みの大工さんが忙しくてなかなかこれから先の工事ができず…。
今だ室内でその威力を発揮できないでいる。

この冬には使えないんじゃ、との声もある中、なんとかしたいと目論む私。














TOKYO EARTH WORKERS Collectin 特別賞受賞

誰かを打ち負かすことでしか
幸せになれないというなら
誰とも争わない人生がいいって
そう言うのかい

だけど競争から降りるのは
負けることからも逃げてるような
そんな気がしているから
まだ走ってる

福山雅治さんの「心color」という曲の歌詞。

そうか。
負けることからも逃げてるかあ。
そんな捉え方もあるんだなあ。

と、思ったからではないけれど、
コミュニティガーデン「みんな畑」の活動を、TOKYO EARTH WORKERS Collectinに出したら、
と言われた時、了承した。
だけど、こんな地味な活動が評価されることってあんまりないだろうと思っていたし、
私の性分もあってちょっと他人事な感じがしていた。

それが。
入賞しましたよ、と言われてビックリ。
そして、プレゼンしてください、といわれ更にビックリ。
初めてパワーポイントでつくり、3分プレゼン。
緊張して口が渇く、という久しぶりの経験をしてしまった。
挙げ句に、舞台上で特別賞です、といわれ……。

えッ!? 

環境活動に福祉的視点があることに独自性があると評価していただいたとのこと。

素直に喜ぶことにして。
有難く賞を受け取った。

今日は雪。
それでも春の芽吹きは既に始まっている。
行きつ戻りつしながらも季節はすすんでいく。

みんな畑も、たくさんの思いを受け止め、行きつ戻りつしながらすすんでいく。
私がすることは、その思いとともに、続けていくこと。
つながっていくこと。
楽しむこと。

いやあ。やっぱり地味だわ。

※東京新聞やinterFMで活動が紹介されます。
 詳しくは後日お知らせします。